イタリアに行ってから、もうすぐ1年!!動揺を隠せません!年も元号も跨いじゃったよ・・・
未完のまま放置していたイタリア旅行記、写真を見ながら「あ〜ここ・・・行ったなあ〜」なんて思い出しながら、完結に向けて再開いたします。
ローマの港町、チヴィタヴェッキアへ
この日、本来の予定では「青の洞窟」に行く予定でした。
しかし現地旅行代理店のストライキにより、急遽ツアーがキャンセルに・・・妻は「青の洞窟」イタリア旅行をチョイスした大きな理由としていたため、これは非常にショックでした。
ただここでめげないのが我々!とにかく海があるところに行く!となって決めたのが「チヴィタヴェッキア」という港町。
ローマ中心部から北西へ、一応ローマ県にある都市です。
鉄道で行ったよ
午前中にコロッセオとフォロ・ロマーノを観光し、更に周辺散策の後、鉄道で別の地へ!めちゃアクティブじゃん・・・
午前中に伊勢神宮がっつり観光してから、ちょっと周辺観光してから鳥羽行く感じ!意外と行けるな!(三重ローカル)
イタリアの鉄道は自動改札がなくて、チケットを買ったらこのマシンで打刻しなければいけない。これしてないと罰金。難しいよ〜〜。
差し込んで、左に寄せると打刻されます。このルールがよくわかってなくて焦ってしまった・・・。
ちなみに乗った列車はこれ。イタリアの列車は基本的に外装が汚れてる(笑)
1時間ほどで到着
着きました〜。
すごく郊外って感じです。
海です!絶景ではない辺りが、逆にそそりますね(笑)
結構綺麗な海で、海水浴している人もチラホラいました。
ここの港からクルーズ船が出ているらしいです。帰りに日本人観光客グループと駅で遭遇しました。
ちょっと塩っぱかったパスタ。
寂れた観光名所みたいなところを発見しました。
落書きがやばい(笑)
ミケランジェロ要塞
駅から少し歩いた所にある「ミケランジェロ要塞」にやってきました。名前の通り、ミケランジェロが設計に携わった要塞(城)です。
港湾防衛のための要塞で、当初は教皇ユリウス2世によってドナト・ブラマンテに建設が委ねられ、1535年、パウルス3世のもとでアントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョヴァネによって完成された。要塞の上部のマスキオ Maschio と呼ばれる塔はミケランジェロの設計によるもので、要塞全体の名となっている。この要塞はローマ帝国時代の建築物の上に建てられており、おそらくはローマ海軍の兵営であったと考えられている。
第二次大戦の頃、この街の古い建物は被害にあってしまったそうなんですが、ここは残ったようです。
確かにこれまで行ったイタリアの都市に比べ、新しいめの建物が多いなーって思ってたんですが、戦争の被害が及んだからなんですね。
日本聖殉教者教会 Chiesa dei Santi Martiri Giapponesi
これと言って観光するところがない街なんですが、実は日本人と所縁がある街だったりします。
「日本聖殉教者教会」と言う教会があり、これは日本二十六聖人に捧げるために1864年に献堂されました。
この教会は第二次大戦で被害を受けるも、戦後に復興。その際日本人画家の長谷川路可が招聘され、内部装飾に携わっています。
内部装飾の中には和装の聖母マリアが描かれていたり、全体的に日本画風の装飾と、教会の装飾にしてはユニークなもの。
画像引用元:Chiesa dei Santi Martiri Giapponesi | Port Mobility Civitavecchia
これ結構楽しみにしていたんですが、予定の時間になっても教会は開かず・・・しばらく待って諦めました。
ちなみにこの地にこの教会ができた理由は、慶長遣欧使節の際、支倉常長が降り立ったことを所縁にしているようです。
ご覧の通り、銅像もありました。
さらに宮城県石巻市(支倉常長が出発したところ)とチヴィタヴェッキアは姉妹都市で、2011年の東日本大震災の際は義援金が送られています。
帰りは途中下車してみた
車窓から見える田舎風景が良いなあと思い、帰りは適当に途中下車してみました。
すごくローカルユースな駅。世界では色んな人が色んな毎日を送っているんですよねー。当たり前ですけど。
観光地から外れるのは、旅の良い味付けと言うか、面白くする要素な気がしています。同じようなこと何度も言ってる気がしますが(笑)
次で多分終わり!
青の洞窟行けなかったのは残念でしたが、こういうイレギュラーも楽しいものです。イレギュラーが楽しめる夫婦で良かった(笑)
さて多分次回でイタリアを去ります!長かった〜!旅行終盤に向かうにつれ、シャッターを切る回数がどんどん減りました。疲れと、慣れみたいなのですね。
最終日はバチカンに行ってきました。なんとか旅行後1年を過ぎない内に書き上げたい・・・!